ところへ当分多忙で行かれないと云って、わざわざ年始状をよこした迷亭君が飄然ひょうぜんとやって来る。
「何か新体詩でも作っているのかね。面白いのが出来たら見せたまえ」と云う。
「うん、ちょっとうまい文章だと思ったから今翻訳して見ようと思ってね」と主人は重たそうに口を開く。
「文章? 誰だれの文章だい」「誰れのか分らんよ」「無名氏か、無名氏の作にも随分善いのがあるからなかなか馬鹿に出来ない。全体どこにあったのか」と問う。「第二読本」と主人は落ちつきはらって答える。「第二読本? 第二読本がどうしたんだ」「僕の翻訳している名文と云うのは第二読本の中うちにあると云う事さ」「冗談じょうだんじゃない。孔雀の舌の讐かたきを際きわどいところで討とうと云う寸法なんだろう」「僕は君のような法螺吹ほらふきとは違うさ」と口髯くちひげを捻ひねる。泰然たるものだ。「昔むかしある人が山陽に、先生近頃名文はござらぬかといったら、山陽が馬子まごの書いた借金の催促状を示して近来の名文はまずこれでしょうと云ったという話があるから、君の審美眼も存外たしかかも知れん。どれ読んで見給え、僕が批評してやるから」と迷亭先生は審美眼の本家ほんけのような事を云う。
主人は禅坊主が大燈国師だいとうこくしの遺誡ゆいかいを読むような声を出して読み始める。「巨人きょじん、引力いんりょく」「何だいその巨人引力と云うのは」「巨人引力と云う題さ」「妙な題だな、僕には意味がわからんね」「引力と云う名を持っている巨人というつもりさ」「少し無理なつもりだが表題だからまず負けておくとしよう。それから早々そうそう本文を読むさ、君は声が善いからなかなか面白い」「雑まぜかえしてはいかんよ」と予あらかじめ念を押してまた読み始める。
ケートは窓から外面そとを眺ながめる。小児しょうにが球たまを投げて遊んでいる。彼等は高く球を空中に擲なげうつ。球は上へ上へとのぼる。しばらくすると落ちて来る。彼等はまた球を高く擲つ。再び三度。擲つたびに球は落ちてくる。なぜ落ちるのか、なぜ上へ上へとのみのぼらぬかとケートが聞く。「巨人が地中に住む故に」と母が答える。「彼は巨人引力である。彼は強い。彼は万物を己おのれの方へと引く。彼は家屋を地上に引く。引かねば飛んでしまう。小児も飛んでしまう。葉が落ちるのを見たろう。あれは巨人引力が呼ぶのである。本を落す事があろう。巨人引力が来いというからである。球が空にあがる。巨人引力は呼ぶ。呼ぶと落ちてくる」